古神道の教義
神道とは、「天地をもちて書籍となし、日月をもちて、その証明とす。吉田兼廷、
唯一神道名法要集」であり、つまり、自然や状況を客観的に分析し(天地をもち
て書籍となし)そこから導きだされた法則に基づき、対策を立て試行錯誤し太陽
や月の運行法則のごとく確実な法則として、その法則の実用性を証明する、(日月
をもちて、その証明とす)この法則に従うものを善しとし、従わない不自然なも
のを悪しとする。具体的には、物ごとを柔軟にとらえ、教条にとらわれず、
(何事も神のしわざ、本居宣長石上私淑言/間色、賀茂真淵/法を必ずとせず、
浅井家之、神学教訓抄)神の分霊たる、自分の直日(良い心、よろこびの心、感動する
心)を守る。すなわち、自分をおとしめる主観(私意)なしに、つまり、「己を卑す
んずる故に私に落つるなり。吉川推足、神道大意講談」であり自分の勝手な主観に基
づいて自分を卑しんではならない。その上で自分の自然な感情を傷つける事なく、たとえ、
他人から無責任と言われようとも常に明るく、前向きであり、過ちに囚われ、自分をせめたり、
落ち込む事ことによつて、暗い心(汚き心)になる事なく心を平静に保ち
(心を傷ましめる事なかれ。御鎮座伝記)鏡のように爽やかに、明るくあり、固定観念や
劣等感や優越感、また、これらの裏返しの感情に基づいた主観(私意)なく、自然法則、
状況、人物、物事、を客観的に正しくとらえ、本当は悪いと思いながらも良いと思い込
もうとしたり、嫌いなのに好きと思い込もうとしたりする不自然な感情(作為)なしに
自分の自然な感情に率直である(私意作為なく本心のままなるを正直とふ。神道初伝口授、
伴部安崇/清明正直、鏡、かんながらの直日)。その上で、清く明るく正しく直く
自然法則を認識した経験に基づく論理(かんながら)をもちて、本当の自分をさらけ出し、
互いに、この自然体の相手を客観的に認識した上で認め合い、思いやり合う、という柔軟
な形での調和し(玉)、英知と勇気を持って決断し、道を切り開く(剣)立ち振る舞い、
言葉を美しくし、ゆったりとした心、平安王朝人の心を持ち(みやび)自分の道を修る
事を通して社会の役に立つ事をし(修理)自分を客観的に見つめ足元を固め成功する
(固成)(修理固成)又、修理固成たる神の御言を成就させ>る為に自分の道を作る(修理)
の基となる人の活計(よわたり=生き方)は神縁により神からの事依し(預かっている物)
であり、(唯、我が身ひとつの活計とのみ患うより、侍問雑記、橘守部)ではないから、
人がそれぞれの活計を筋の通らない形で自分の感情の赴くままに主張したり、他人の感情
に気を使い萎縮する事なしに、天地に正しい理に基き、事向け和す(説得する、)事により、
自分や他人の“ほどほど”あるへき限りの業をつくして、穏しく、楽しく、世を渡る。
本居宣長、玉くしげ’である活計を神の為に守る、献身利他と称して自分や他人の活計を
軽じてはならない、神縁により神からの事依しとして許された活計の行いにより生じた事
(結果)対して、客観的に正しく見合い、“人のあるべき限り越えたるしわざ。本居宣長、
玉くしげ・でない、あまりに重い責任を負す為に許された活計の行いの実行そのものを、
ためらわせる事のないものが義務である。自然や状況を客観的に分析し(天地をもちて書籍となし)
そこから導きだされた法則に基き、対策を立て試行錯誤し法則の実用性を証明する。
(日月をもちて証明とす。)この天地に正しい理に基き、事向け和す(説得する、)
この事はすなわち、神と一体となって、人がそれぞれの個性に基く使命をはたすという事である。
(我、沖津風、辺津風を起こさん。吉川推足)この、かんながらの行いを純枠に行い、神界の恵み
を地上にもたらし、国民のため、世界のために、祈りおおらかで、雅やかでゆったりとした、ものの
あわれを知る和歌の心(詩人の心)たる常に自分らしく自然な心を持つ皇御孫命をうやま
い、この様な平安王朝人的な心を道徳の基準とし(天皇の御心を心とする。本居宣長、直
毘霊) すぺての人が平安王朝人的な生活を享受できるようにする。神界から地上におろさ
れた、喜びや善の素、感動する心の素たる天照大神の御魂たる、天照魂、天皇霊(あま
てるたま、すめらみことたま、)即ち、天津日嗣の日である所の皇御孫命の直日がしずま
ります天津神薙をはじめ、神宮、神杜を通して大神に析り、同時に、自分の心のけがれを
祓い、自分の直日を天照大神の御名を唱えることにより現すと同時に皇御孫命の直日たる
天皇霊を斎い、(君を恨む心が起こる時は、天照大神の御名を唱うるべし。楠正成)この
直日を保ち、守る為に鎮魂によりて自分の直日を斎い祭り(心の神を祭る。)神人合一し
発展(弥栄)する。詰まる所、神道とは自然に従い、自然を生成発展させることである。
(神道とは天地陰陽に従い、天地陰陽を育つる道也。吉川推足、神道大意講談)。また、
お互いに人の為に析り合う。 明るく爽やかで自然に対して正しく(自然の法則にもとづく
正しさで物事をとらえ=外部の扶況を客観的にとらえ)自分の本当の気持に率直であり、
この明浄正直の心を心とし、あるがままの自分をさらけ出し、その自然体の姿を互いに
認め合う心(むつみ合う)、雅で、もののあわれを知る心(ロマンテックな心)このよう
な心が天皇様の御心(天皇様の私意ではなく直日=天壌無窮であるところの直日の心)
であるということを知り、己の心とする。(惣じて何事にも大かた御自分の御かしこ
だての御料簡をば用ひたまはざりし、これまことの道の、正しき御行ひかたなり。
玉くしげ、本居宣長)このような大和心に反するものは表向きは天皇様の御為と言っても
道を外れたものである(儒教の忠など)この大和心を基に為政者は権力そのものは、あくまで、
大神から天皇様を通じて、委託された物との自覚の上に、自分の私見を挟むこと無く、
謹んで、その権力を思金の命の神徳(自然の法則に基づき、あるがままの現実を見つめる
客観的論理性)に基づき為政者が互いに正し含いながら行使し天皇様に報告する攻治(国体)
であり、それは、“ 世の人ゆるやかに打ちとけて、楽しむ、本居宣長玉くしげ”ことができる
政治である。個人はこの心に基づいて自分の道を修り、足元を固め成功する。(修理固成、家業興国論)
この大和心は天皇様の御心である故に天壌無窮の神勅によって永遠である。